猫沢エミ
至福の蕎麦屋晩餐✨
あゝ❣️ こういうの、きっと懐かしくなるんだろうな〜🥲
#東京下町時間 #猫沢銘店
猫沢エミ
東京が、二度目の非常事態宣言になって以来、初めて外でお酒を呑んだ。
この間、範囲外だった葉山で呑んだのが1回だけで、あとはずっと基本、自飯・家呑みで過ごしていた。
ところが、ふとランチで入ったお店で、つい「生ビールください!」と言って断られるということが何度かあった。
頭ではわかっていても、身体はすっかり〝気分転換に外で呑む〟ということがインプットされていて、その習慣はちょっとやそっとのことでは変えられないのだと痛感した。
イオちゃんの初七日に、私の夢のなかで彼女が食べていた稚鮎の天ぷらを、久しぶりに頂いた。
とても小さな短編だけれども、小説雑誌「群像」に、美しいエッセイを寄稿しました。私にとっては、弔いのターニングポイントになった大切な一編。
発売日、またお知らせしますね。
#東京下町時間 #イオちゃんフォーエバー
猫沢エミ
で、当然来るよね、かねこ。
イオちゃんが〝イオ席〟にちょこんと人間座りして食べていた(前出の夢の話)のが、こちらの稚鮎の天ぷらです。
小上がりの席で、ぐちゃぐちゃに泣きながら昼間から弔い酒。
イオちゃん、お盆の茄子みたいに、この鮎の背中にのって、残り香も天国へ行きました。ひゃほー♪って、腕をぐるぐる振り回しながら楽しげにね。
イオの始まりから終わりまで見守ってくださった園田先生のところへお礼のご挨拶へ伺う。看護士さんたちがみなさん出てきて下さって、万感の思いでした。
その足で、ずっと足繁く通った水天宮さまへお礼参りに。イオをキャリーバッグで入れて、何度もお参りした日々を思い出して、人形町の裏路地で泣いた。
キャロル・キングの《So Far away 》を聴きながら。
So far away
Doesn't anybody stay
in one place any more
遠く離れてしまう。
誰もひとところへ
とどまることは決してできない。
明日から、また前をむいて、歩き始める。
#猫沢イオ #イオの扁平上皮ガン日記
#東京下町時間
猫沢エミ
今日はタナベッチと校正ゲラチェックデー。膨大な修正、頑張ります。
駆け込みで、かねこ。
ここはこの世の最果ての蕎麦屋。私がメメント盛るときは、不思議とここなんだよな。
ベッチとこれまで見送った猫の話をしながら、生きるとは?死ぬるとは?運命とはなんぞやかをどっぷり話す。
話しながら食した命たちについても思いを馳せる。絶えず他者の命を摂りながら生きる私たちの意味について。
今日のベッチの名言。
「私があなごなら、かねこで天ぷらになりたい。」
生きることも死ぬことも、そこに想いがあれば、きっと快く成仏できるのだと思う。
生きとし生けるものの儚さに、無限の愛を見出す。
#東京下町時間 #猫沢銘店
猫沢エミ
おとといの夢で見たきのこ蕎麦熱が冷めやらず、夢の舞台にもなった浜町 かねこに馳せ参じる。
そもそもきのこ蕎麦があったかどうかもわからない………ある‼︎ 👀🍄✨
しかもたまたま通された席の箸置きがきのこ👀🍄✨
なめこのぬめりでとろみの効いた、夢で食べたそのままの味。恐るべし予知夢⁉️
きのこは私になにを語ろうとしているのか…それともこれは、イオちゃんからのお歳暮?
引き続き、きのこのメッセージには注意深く耳を傾けようと思います。
#猫沢銘店 #猫沢夢 #東京下町時間 #今季🌰の天ぷらを発見👀また来なくちゃ
猫沢エミ
稚鮎のごとく、美しく生きてその姿をとどめること。
死してもなお、美学に貫かれること。
#東京下町時間
猫沢エミ
これ以上、家にばっかりいるとダメになる…と真剣にうけとめて、晴れた空をあおぎながら、かねこへ牡蠣の天ざるを食べに行った。
牡蠣…ジューシィ❣️ 帰りにドラッグストアをのぞいて、トイレットペーパーの有無を確認するも、無。
ティッシュペーパーがかろうじてワンパックあったけれど、もっと困っている人がいるだろうから買わなかった。
よし!気合い入れてお仕事するぞ。
#猫沢銘店 #東京下町時間 #コロナヴァカンス
猫沢エミ
今夜はルノー先生を、日本の蕎麦屋呑みの世界へご案内。
まぁいろんな愉しみ方があるんだけどね、たとえばダイレクトにお蕎麦だけたぐってしゅっと出てもよし。でも、特に夜の時間帯なら、まず2〜3品の酒肴をとって、この季節なら熱燗でゆっくり味わう、と。んで、だし巻き卵とか天ぷらなんかを頂いて、〆にお蕎麦かな。と、ご指南。
牡蠣ポン酢、炒り銀杏、だし巻き卵、天ぷらの盛り合わせには、大好物のウニ天をプラス。鮎の稚魚の天ぷらに、いたく感激していたルノー。銀杏の実もフランス人には新鮮な食材。
ボクらフランス人もまあまあ繊細な舌をもっているけど、日本に来て本当の和食を食べてみて、日本人の舌の繊細さにはかなわないと思ったよ、と先生談。
#猫沢銘店
猫沢エミ
家を守ってくれた友達と、お礼を兼ねた精進落とし。
ここは思い出深い場所。今年の5月、ICUに運ばれてから一度退院したときに、母を連れてきた。
それから、しばらくして母がもう助からないと告げられたとき、どうしようもなくてひとりで泣きながら酒を呑んだのもここだった。
あのとき私たち家族は、母への告知を巡って精神的に少しおかしくなっていた。あとひと月で逝く人に、無碍に残りの命を数字で伝えるなどという、今思えば信じられない選択肢を抱えて悩んでいた。
ヒューマンな主治医との対話で、それは取りやめになった。人間は動物。誰に言われなくとも、死期は身体が教えてくれる。
生きることがもっとも大切なことだけれど、死にゆくことも同じくらい大切なこと。なぜかわからないけれど、昨日、久しぶりに家へ戻ってきたとき、降りてきた言葉。
今朝、空を見上げて思った。
私にはもうお父さん、お母さんと呼べる人がいないのか。
でもすぐに、それは違うなと思い直した。
私にはお父さん、お母さんと呼べた人がいたのだ。
母は、私の実母ではなかった。育ての母だったけれども、血の繋がりなどほぼ意味をなさないほど、大切にしてくれた。
いい話がある。上の弟が高校生だったころ、仲の良かった弟の友達がいて、彼は成績優秀で親に歯向かったことがない子だった。その子が、親の期待に押しつぶされて、一度だけ親に手をあげた。そして、その子はたった一度の蛮行に驚いた親によって精神病院へ送られて、ロボトミーのようにされてしまった。その話を聞いた母が、ひどく不憫に思って『私、あの子を引き取ろうと思うんだけど、どうかな?』と相談してきた。私は即答で、いいんじゃないの?と答えた。私もある意味、その子と変わらない立場だったし、母ならきっとうまくやれるとわかっていたから。
今振り返ると、幼い話である。両親揃っている子供を養子にもらうなど、法的に無理に決まっているのに。ただ、母が本気でその子の人生を救ってあげたいと思った気持ちは真摯なものだった。
立場でなく、世間体でなく、心から掛け値なしに他者を愛する姿勢は、母から学んだ大切な教えだ。
#東京下町時間 #ブラックファミリーヒストリー #猫沢銘店
猫沢エミ
ベッチと日本在住最後のかねこ。
なんて書くと、さも節目に思えるけどね、本当は一秒一秒が最後なんですよ。
そして次の一秒一秒がブランニュー✨
人生は一秒の連なりでしかないし、その瞬間に感じる愛とか信頼とか、そうした良きもので編みあげる壮大なタペストリーだ。
イオちゃんの本のタイトルが舞い降りた日。彼女は私に新しい旅の切符を手渡した。
江戸時代に三途の川に見立てられた隅田川の上で、ひとり流した涙が私の旅の進水式だった。
この、ほんのり苦くて清い水は、きっと私を美しい未来へと運んでくれるはず。
#猫沢エミのインターナショナル五十路ライフシフト #東京下町時間 #猫沢銘店